おはようございます。
練馬区議会議員の佐藤力です。
練馬区にとって大事な日について解説しました。
ぜひこういう話は次の世代にも伝えていきたいですね。
皆さんは8月1日が何の日かご存知でしょうか。
今回は、練馬区の記念日「8月1日」についてお話していきたいと思います。
何の日か分かったという方はいらっしゃいますか。
これを知っていたら、かなりの練馬区通です。
ときは昭和22年、1947年に遡ります。
昭和22年8月1日に練馬区は、とあるところから分離・独立して誕生しました。
そう、8月1日は練馬区の独立記念日なんです。
今年で77周年を迎えました。
では、どこから独立したでしょうか。
3択クイズです
1、日本 2,東京都 3、板橋区
ぜひ考えてみてください。
正解はこの動画の最後でお伝えしたいと思います。
そもそも東京都の歴史を振り返ってみると、明治維新後、1868年に江戸は東京と改称され、明治政府の首都となり、明治時代に、近代的な都市計画が進められ、都市インフラが整備されました。
また、23区の原形となる区が東京に設置されたのは、明治11年(1878)年で、当時は15区で構成されていました。
そして、明治22年(1889)に15区の範囲に基礎的自治団体としての東京市が設置されました。
20世紀にはいると、急激な都市化の進行により、昭和7年(1932)に、周辺の町村などを東京市に編入し、これを改編して新たに20区を設置し、それまでの15区と合わせて35区となりました。
その後、1943年に、東京都制が施行され、東京市と東京府を廃止して、東京府の範囲に「東京都」が誕生しました。
そして、戦後を迎え、1947年3月15日に、35区は22区に整理統合され、同年8月1日、練馬区が分離独立して現在の23区となりました。
練馬区は23区の中で一番若い区となります。
では、なんで練馬区が独立したのかというと、昭和7年(1932年)に東京市ができた当時、北豊島郡に属していた練馬の地域は、一区に足りる広大な面積を有していたにも関わらず、人口が少なかったために板橋区に含まれてしまいました。
区役所機能は板橋区側に置かれていたため、練馬区の西部地域の住民は非常に不便であり、「納める税金より交通費の方が高い」などと住民の不満は絶えることなく、練馬区独立を唱える運動が展開されていきました。
その後、戦中、終戦という時代の荒波の中でも、独立運動は絶えず展開されましたが、戦後の地方制度改革が進められる中、東京都の35区を22区に統合することが決まり、ここでも練馬区の独立は叶いませんでした。
それでも独立促進大会や陳情などさらに猛烈な運動が展開され、GHQに対して陳情を行った際には、被占領下において練馬区が日本から独立すると誤解され、陳情団がピストルを持った米兵に取り囲まれたというエピソードもあったそうです。
そして、ついに粘り強い運動が実り、22区に遅れること5か月。
昭和22年8月1日、ここに練馬区悲願の独立が達成されました。
ちなみに独立当時の練馬区庁舎は、現在の開進第三小学校の講堂に設置され、現在の区役所の場所に移転した昭和24年(1949年)1月まで使用していました。
また、この独立運動を推進し、板橋区議会で独立に関する緊急動議を発した方というのが、上野徳次郎さんで、現在、練馬区議会自由民主党の幹事長を務めている上野ひろみ議員のひいおじいさんなんです。
独立当時の練馬区の人口は約11万人でしたが、年々人口が増加し、昭和35年に30万人、昭和44年に50万人、平成20年に70万人を超え、現在は74万5000人を超えています。
全国の市区町村の人口ランキングでは、18番目となっています。
ここまで発展することができたのも、独立を推進されてきた、先人の皆さんのおかげです。
ありがとうございました。
では、最初のクイズに戻ります。
ここまでご覧いただいた方は、もう答えが分かったと思いますが、練馬区はどこから独立したのか。
正解は3の板橋区でした。
皆さんは正解できましたか。
ぜひ8月1日は練馬区独立記念日ということを覚えていただければと思います。