【練馬区】未来のまちづくりのヒント|隈研吾×佐藤可士和|団地再生プロジェクト


こんばんは。
練馬区議会議員の佐藤力です。

今週の佐藤力チャンネルのテーマは、「練馬区議会自由民主党で行った視察」についてです。
先日、町田市にある公園や、隈研吾さんや佐藤可士和さんが手がけた横浜市にある団地に行き、公園整備と団地再生について視察してきましたので、そのことについてお話していきたいと思います。


●町田薬師池公園 四季彩の杜

さて、まず最初にご紹介するのは、「町田薬師池公園 四季彩の杜」です。

この公園は、コロナ禍の令和2年4月にオープンしましたが、年間55万人の方が訪れる公園となっています。
町田市の公園整備担当と観光・経済担当などが時間をかけてコンセプトを検討し、昔からあった薬師池公園やリス園など周辺9つの施設を一体的にエリアマネジメントし、年間通してみどりを楽しめる「四季彩」をテーマに整備されました。
また、施設の一つである「西園」は、群馬県川場村にある道の駅を参考に、入り口付近に案内所や直売所など建物を集積し、奥に芝生広場など自然環境が拡がる施設となっています。
さらに、園内は高低差を活用して、立体的にみどりを見せるととともに、カフェや直売所、グランピング施設があり、園路は斜度4%のスロープを整備するなど、高齢者や障害者も含め3世代で楽しめる空間なっています。

この施設は、令和2年にグッドデザイン賞も受賞しています。

これからの公園整備においては、みどりの見せ方を工夫することはもちろんのこと、それと合わせて、カフェやレストランなど商業施設を融合させ、さらなる魅力を創出していくことが重要となっています。
この公園にあるカフェや直売所などは、指定管理者の自主事業として実施されており、事業者が賃料を払って、その区画を借り、事業を実施しています。

行政の委託事業ではないため、採算が合わないと事業継続は難しく、事業者が創意工夫を図りながら事業を実施しており、それが来場者へのサービスの向上につながり、魅力の創造、向上につながっています。

●町田市立鶴間公園

次に行ったのは「町田市立鶴間公園」です。
ここは「南町田拠点創出まちづくりプロジェクト」に基づいて整備された公園です。
本プロジェクトは、町田市と東急株式会社が連携・共同し、公園や商業施設、住宅などを、一体的に再整備するプロジェクトで、新しいまち「南町田グランベリーパーク」内に、鶴間公園やスポーツ広場などの整備を行いました。

公園には、大きな芝生広場や、グラウンドやテニスコートなどの運動施設、子供たちの「あそびば」などがあり、全世代で楽しめるとともに、心と身体が健康になり「日常生活+α」が楽しめる公園となっています。

先ほどの薬師池公園との違いは、コンセプトづくりに民間企業がかかわっているのかどうか、また、商業施設が公園内なのか併設なのかという点であると思います。
どちらもそれぞれの良さを引き出しており、来場者数から見ても、住民の方々に愛されている公園になっていると思います。

練馬区でいうならば、前者の薬師池公園は、これから整備する稲荷山公園や井頭公園であり、後者の鶴間公園は、区立公園ではありませんが、光が丘公園やとしまえん跡地にできる練馬城址公園ではないかなと思います。

●ルネッサンス in 洋光台

そして、最後に行ったのが横浜市にある「洋光台団地」です。

洋光台団地の再生プロジェクトは、UR都市機構が全国で管理する約7万の団地の活性化を目指し、そのリーディングプロジェクトとして実施している事業です。
高齢化や空室率の上昇など全国の団地に共通する課題に対して、平成23年から多様な分野の専門家が参加する「アドバイザー会議」と、住民や行政など関係者が参加する「エリア会議」で検討を深め、平成27年から建築家の隈研吾氏やクリエイティブ・ディレクターの佐藤可士和氏を中心に「団地の未来プロジェクト」が始動しました。
このプロジェクトでは、「若い層を呼び込むこと」のみに目標を置き、建物改修などのハード面はもちろんのこと、広場やコミュニティの場を整備し、「団地のマルシェ」や「団地のライブラリー」など若い方や子供たちが楽しめるイベントの実施やコミュニティの醸成などソフト面の活性化に注力しています。

その結果、新規入居者の年齢層は、プロジェクト実施前は50歳代だったものが、30歳代へと押し下げることに成功しています。

また、イベントなどにおいては、高齢者向けではなく、若い人や子供たち向けのものを中心に実施することで、高齢者がサポート側に回り、全体として、賑わいが創出され、団地の活性化につながっています。
元々お住いの高齢者の方からも「子供たちの声があふれ、昔の賑わいが戻ってきた」と高評価をいただいているということです。

練馬区で一番大きな団地は光が丘団地です。
光が丘は元々は、戦前に成増陸軍飛行場として整備され、戦後はGHQに接収されて米軍家族が住むグラントハイツとなりました。
その後、昭和48年に全面返還されて現在の地名になり、大規模団地である光が丘パークタウンと光が丘公園が造成されました。
入居が始まったのは昭和58年で、現在、光が丘地区内には27,000人の方が住んでいます。
団地の建物は、古いものだと建築されてから40年近くが経過しています。
洋光台団地は、築40年程度になった頃から団地再生について検討を始め、10年近くかけて検討を積み重ね、今回の団地再生プロジェクトを実施しています。
光が丘団地においても、すでに住民の方を中心とした未来のまちづくりについて検討がされていますが、これからは建築家やデザイナーなどの有識者を交えて、本気になって光が丘の未来づくりを進めていくことが大事であると考えます。

今回の視察で得た知見をしっかりとこれからの練馬区に活かしていきます。

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